1928年昭和3年
8月6日、ペンシルバニア州、マッキンポートに生まれる。幼い頃から絵が上手であったが、恐慌の影響で家庭は非常に貧しかったそうです。体が虚弱だったウォーホルは家でラジオを聞いたり、本やマンガを読むことが多く、スーパーマン、ポパイ、バットマンに憧れる絵が得意な少年だった。
1942年昭和17年
チェコからの移民、炭坑夫として働く父死亡。
1945年昭和20年
ピッツバーグ、カーネギー工科大に通う。絵画等を専攻する。
1949年昭和24年21歳 ニューヨークに出る。イラストの仕事をする。1950年昭和25年
アイ・ミラー社の靴の広告、雑誌「ヴォーグ」「ハーパースバザー」の広告イラストをはじめコロムビアのレコードジャケット、ティファニー宝石店のウィンド装飾などを手がけ、商業デザインで地歩を固める。
1952年昭和27年
初の個展をニューヨーク、ヒューゴー画廊で開催。「ニューヨーカー」派の作家トルーマン・カポーティーの小説を題材としたドゥローイング15点を出品。初めてアンディ・ウォーホルと名乗る。
1954年昭和29年
イラスト集「サムという名の25匹の猫と1匹の青い仔猫ちゃん」を刊行。
1955年昭和30年
27歳の時ミラー靴店が毎週新聞に掲載する宣伝のデザインの注文を受け、その後の宣伝で賞を取ったりすることで名が知れ渡り、展覧会で成功を収めるようになる。
1957年昭和32年
靴の広告デザインでアート・ディレクターズ・クラブ・メダルを受賞。
1960年昭和35年
32歳 30年代の探偵漫画「ディック・トレイシー」シリーズなどの連続漫画や広告からヒントを得、題材にして絵を描く。
1962年昭和37年
画商で室内装飾家のミュリエル・レイトウからキャンベル・スープ缶とドル紙幣を描くアイデアを買い取り、ドル札、キャンベル・スープ、他にはマリリン、惨事シリーズを制作する。
ファクトリーと呼ぶアトリエを持つ。映画製作も始める。
個展(キャンベル缶シリーズ)をロサンジェルス、フェラス画廊で開催するが散々な評判であった。
1964年昭和39年
スケールの拡大とダブル・イメージの技法を試みる。
1968年昭和43年
40歳 銃で打たれ重傷を負う。
1969年昭和44年
70年代には社交界からの注文で多くのポートレートを制作しています。ミック・ジャガー、マイケル・ジャクソン、キャロライン王女など幅広い分野の有名人の依頼をこなしています。
1970年昭和45年
再びシルクスクリーンによる制作を開始。自ら撮った著名な有名人写真による肖像画を多作する。「ライフ」誌は、60年代に最も影響力のあった人物として、ビートルズとウォーホールを挙げる。
1971年昭和46年
日本で最初の個展
1983年昭和58年
ファクトリーを移転。冬季オリンピック・サラエボ大会のポスターを制作。
1987年昭和62年
2月22日、59歳 ニューヨークの病院で手術を受けたあと死亡。